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修了生の声 第9期生(2014年3月修了)

2年間の卒後臨床研修を終えて ~研修医の感想~

内田 大貴 知識だけじゃない、多くの学んだこと

当院での臨床研修が決まった時、心の底から嬉しい気持ちがこみ上げるのと同時にそれ以上の不安を感じていた。大学生だった頃の僕は決して真面目な生徒ではなく、音楽に打ち込む毎日を過ごしていた。
そんな僕が、全国から研修医が集まる聖隷浜松病院で(おそらく、超)厳しいであろう先生方にしごか・・・ご指導いただくことが想像できなかった。確かにこの2年間は走り抜けてきた感じがある。けれど冷静に振り返ると充実していた毎日と楽しかった思い出が沢山つまっている。先輩に怒られたこと、褒められたこと、いじられたこと、銭湯で愚痴を言い合ったこと(主に峯田)、みんなで飲みに行ったこと、出来ないことが悔しくてしょうがなかったこと、患者さんに先生の御陰だと感謝されたこと、逆に救えたはずの命がこぼれ落ちたこと。もちろんこの2年間色々な先生から学んだ医学的知識は僕の基礎となるだろうし、今後学べないだろう経験を沢山させていただいたことをとてもありがたく思っている。けれど、それ以上に医学以外の思い出がこんなにあるのは、聖隷浜松病院で研修できたからだと素直に思う。
この病院で研修できたことを本当に誇りに思います、ありがとうございました。

〔10年後の自分について〕
脳神経外科医としてバリバリオペをしていたい気もすればどこか遠い国で研究をしていたい気もする。でもきっと、基本的な気持ちは今のままなんだろうなあ。

山﨑 めぐみ 二年間の研修を振り返って

小学校から数えること26年間の学生生活を経て、ようやく社会人として働き初めた当院での研修は、様々な経験と変化をもたらしてくれました。
仕事としてdutyをこなすことと、そこから泥臭く何かを学び取ろうと食らいついていく姿勢。そのバランスが自分には取れていただろうか、もっともっと頑張るべきだったんじゃないかと後悔する部分もありますが、そうして迷ったり悩んだり、落ち込んだり、でも気分転換をしてまた翌日の仕事に取り組む切り替え方法を、身に付けられた気がします。また、患者さんを通して様々な人生を垣間見て、自分のこれまでとこれからを考えさせられる事が多々ありました。研修医という柔軟な立場だからこそ、良くも悪くも感情が影響される距離感で患者さんと関わることができたのではないかと思います。そんな経験がいくつもあり、今は縁もゆかりもない浜松に来て得ることが出来た大切な友人や尊敬できる先生との出会い、これまで支えてくれた郷里の家族への感謝の気持ちを、素直に持つ事が出来るようになりました。私の医療人としてのスタートを、この病院で切れた事を本当に良かったと思っています。ありがとうございました。

〔10年後の自分について〕
10年後も20年後も30年後でも、身体と頭が動く限りは、長い長い回り道の末に巡り会えたこの仕事を続けて、患者さんの側にいられたらと思います。途中、どこかで海外研修も出来たら楽しいかな。

浅野 健吾 『“慣れ”と“麻痺”の狭間で』

研修を振り返るとき、思い出すのは最初の救急科。
どぎまぎしながら救急車や夜間callの対応に追われた。
覚醒と就寝の区別がなくなり夢遊病を発症し、2ヶ月はほとんど寝た実感がなくカンファでは盛大に船を漕いだ。
そんな研修生活も早や2年。何一つできなかった呑気な研修医は、基本的なことは「一見」一通りこなすようになった。後輩ができ、「一見」全て理解しているかのように指導するようになった。
そんな「一見」の集合体が自分の“成長”を形成している。
出来ることは格段に増え、自分は確実に“成長”した。しかし同時に、確かな根拠をもって出来ていることは非常に少ないことも実感する。単に自分は“慣れ”ただけなのでは・・とがっかりさせられる。しかしそれでも確実に学んだことはある。それは、医学に完璧はなく、今よりもbetterな方法が必ず存在するということ。だからこそ学び続けなければならないということ。当たり前だが、自身の力不足を通じてこれを実感したことが最大の収穫であると思う。何かに“慣れ”たとしても、そこで学ぶ心やこだわりを忘れたらそれは“麻痺”である。“慣れ”と“麻痺”のちょうど狭間にある今の未熟な自分を、この先も忘れずにいたいと思う。

〔10年後の自分について〕
麻酔・集中治療分野の専門性を軸に、全身管理において周囲から信頼を置かれている。
システム構築や後進の教育にも携わっている。
良き夫であり父である。それらの原点には、聖隷で過ごした2年間の日々がある。

中澤 直美 臨床研修を振り返って

時間が経つのは本当に早いもので2年間の臨床研修が終わろうとしています。全国から集まった同期12人での初顔合わせの日を思い出すと本当に懐かしく感じます。
働き始めた当初は何もかもが不安で、救急搬送されてきた患者さんを目の前にして何をすればいいのかも分からず見ているだけしかできなかった自分に「進む道を間違えたかな」と思ったこともありました。しかし、各科の先生方や病院スタッフの方々にご指導頂きながら経験を積む中で、自分の進みたい道を見つけることができ、理想とする医師像も少しずつ具体化されてきたように思います。数々の教えや励ましをくださった上級医の先生方、一番身近な目標であった先輩研修医の先生方、大変な時も楽しい時も一緒に時間を共有した11人の同期、様々な人との素晴らしい出会いがありました。今思うことはこの聖隷浜松病院で研修ができて本当に良かったということです。2年間、ご指導頂き大変お世話になった各科の先生方、人材育成センター、病院スタッフの方々、本当にありがとうございました。来年もこの聖隷浜松病院で循環器科医としてお世話になります。今後も宜しくお願い致します。

〔10年後の自分について〕
循環器専門医に加えて超音波専門医の資格を取るなど、何か自分の強みとなるものを持っていたいと思います。
また、専門性を持ちながらも基本的な内科的管理のできる医師になっていたいです。

黄 海鵬 「職業は医者と言えなくて」

2012年3月23日、医師免許を受け取ってから聖隷浜松病院での研修生活がスタートした。産婦人科を志す私としては最高の幕開けと感じつつ、医者になったエネルギーを仕事に打ち込んだ。
聖隷浜松病院での臨床研修は、全国的にも名が通っている。月6回の当直、スーパーローテート研修・・・忙しい。出だしは4ヶ月の総合診療内科、その後小児科、救急、循環器、麻酔科を1年間かけて研修した。患者を受け持つときは、その科の研修医として紹介された。科によって研修医の業務は大きく異なった。全てが勉強になったが、その科の常識や通常業務がそのうちの数割を占めたと今は自覚している。
それぞれの専門科で先生はすごいなと感じつつ、自分のIDに疑問を感じていた。学生以上の責任があり、真剣だが、1~2ヶ月毎の移動のため入り口に常に立たされた。これも経験であり、自分の専門科にきっと役に立つというのが研修医制度の起源だと思う。
私たちにとって研修医の第一歩は社会人の開始を意味する。社会人になれば、いろいろ書類やら手続きで職業を聞かれることが多くなった。「学生です」今考えればなんて言いやすいことばでしょうか。「医者です」のことばはなかなか言いづらい。医者と言えば、「すごいですね、何科ですか、専門はなんですか、病院はどこですか」など多くの質問が控えているからだけではない。私はまだ、各科で指導していただいた先生のような医者になれていないからだ。
医者としての門出は来年からである。

〔10年後の自分について〕
まじめに答えると、産婦人科医。胎児をライフワークとしていることに期待。
器用に手技をこなし、先生がいれば安心できると言われていたい。
現実では10年後であれば、だいぶ丸くなっていると思う。人間的にも、体系的にも。パパになっている。育休が飲み会のネタになる。趣味は食べることと、あかすり。これは不変でいて欲しい。はげたくない。

國友 愛奈

どんな状況でも向上心を持って最大限の努力をすること。常に患者さんの立場・価値観を理解し親身になって最善を尽くすこと。この2つを大事にしようと、入職したときからいつも考えていました。働き始めると、無知無力な自分の存在意義が見出せず、劣等感と不甲斐なさで悔しくて、自分のやっていることは患者さんにとって本当に最善なのか、といつも不安でした。でも辛いときには先輩や同期に何度も心を救われて、時々嬉しいこともあって、徐々にできることが増えて達成感があって、今思えばすごく充実した楽しい2年間でした。たくさん教わって、尊敬する大好きな人たちがたくさんできた2年間でした。ご指導頂いた先生方、職員の方々、研修医の先輩、後輩、そして同期には、感謝の気持ちでいっぱいです。
ここで臨床研修が出来て本当に幸せでした。
自分のためだけに頑張り続けることはできないから、患者さんのために頑張るんだよ、と教えてくれた指導医がいました。初めは自分のことで精一杯で、しっくりこなかったけれど、今はその通りだと実感しています。この先何年経っても、最初の2つを遵守し、臨床研修の日々を忘れず、患者さんのために頑張っている医師でありたいと思います。

〔10年後の自分について〕
日々の笑いを大切に、夢に向かってがんばっている。
家庭も大切に、キラキラしていたいです。
自分のお母さんみたいに、子供にたくさんごはん作ってあげたい。

峯田 健司 『2年間のふりかえりとこれからの展望』

聖隷での研修が決まったとき喜びよりも不安でいっぱいでした。最初は精神科医になるつもりだったので、臨床研修を耐えて一通りのスキルが身についたら3年目から精神科に進もうと考えていました。特に救急なんて精神的にも身体的にも過酷な場は向いていないので臨床研修中はなんとか乗り切ろうと甘く考えていました・・・が、気がつくと来年からは救急科医に。全身管理や急性期治療、救急対応が面白かったのはもちろんですが、救急医療と精神医療の接点の多さを感じることが非常に多いと感じ、今は救急に進んだ後に精神科を志そうかと考えています。そういった夢を後押しして下さった清水先生を始め上級医、先輩後輩にはいくら感謝してもしきれません。コンプレックスの塊みたいな自分が頑張れたのもきっと聖隷だったからでしょう。とは言っても研修医であり、本当の意味で責任のある立場に立っているとは言い難く、来年からはさらに求められること、重圧は多くなってきて辛いことも多いでしょうが、その分得られることもきっと多くなると信じてワクワクしています。出会った全ての人と支え合いながらこれからも一歩一歩着実に歩んで行きたいです。

〔10年後の自分について〕
救急専門医と精神保険指定医を所得し、救命救急医療の現場で
精神科的ケアを実施できるDr!になっているといいな。
あとその時々に興味の沸く所にすぐ行けるフットワークの軽さを持っていたい。

濱本 航 「何とか走り切った2年間でした」

長かったような、あっという間だったような2年間でした。
入職当時は不安と期待に胸躍らせ、「患者のために寝る間も惜しんで治療に勉強に全力を尽くす!」と決意をしていましたが、そんな熱いハートはどこへ行ってしまったのでしょうか。数多くの失敗をしてまいりましたが、いつしかTo error is human.が当たり前になっていた気もします。そういう意味では研修を終えた今でも、真のProfessionalには程遠いです。清水先生、すみません。しかし、この仕事は自分が倒れた時の替えを立てるのが非常に困難であることを思い知り、セルフマネジメントの重要性が身に染みました。
指導医の先生や先輩に数えきれないフォローをしていただき、また同期や後輩から自分の持っていないことをいろいろと学ぶことができました。また、自分なりに今後のスタイルをなんとなく見いだせたような気がします。いろんな意味で「医師としての、また社会人としての基礎」をこの聖隷浜松で日々働きながら学べた自分は、とても恵まれていると思います。今後も無理をしない程度にできることを少しずつ広げていきたいと思っています。
大変お世話になりました、ありがとうございました。

〔10年後の自分について〕
10年後は仕事では周囲に多少は頼られつつ、かつ先輩後輩問わずいろんな人から教えを乞い、学べるようになりたいです。プライベートの充実を図り、いい雰囲気の職場で患者さんに対して向き合っていたいと思います。

鈴木 英子

2年間は自分の根底にあって目を背けていたこと、また逆に自分の意外なcapacityについて知りました。極限状態に追い込まれて出た自分の一面が、患者さんの負担になっている気がして苦しく、早朝覚醒する日々がありました。でも逆に、追い込まれても意外と人間こんなこと出来るんだなと思った一面もほんの少しだけ発見できる日がありました。
患者さんと接して思ったことは、患者さんを通して自分が社会とつながっているということ。患者さんに最近の時流を教えて頂いたり、何をすれば痛くて苦しいことのある入院生活にせめてもの華を添えられるか知ったり、様々な家族のあり方に一喜一憂したり。家に帰れない日々を過ごしても、患者さんと接することで私が普段感じられない院外の日常的な風景が見えました。入院が患者さんにとって非日常であることを、時折忘れている自分に気づきました。また、患者さんと接して、自分の家族のありがたさ、貴さを改めて感じました。ろくに連絡もとらない私ですが、家族なしでは研修はもっと辛かったと思います。どこかで待っていてくれる人がいるのは幸せです。ありがとう。
医師になって良かったと思っている自分は確かにいます。私が医師であって良かったと思えない患者さんがいないように、研鑽していきたいです。
自分の昔抱いていた理想的医師像は2年間で少し変化した気がします。理想的医師像を感じられるrole modelの先生方と多くの出会いがあったことに感謝しています。同期のみんなもありがとう。

〔10年後の自分について〕
仕事を楽しむことが出来、
かつ大切にしたい家庭もあると理想的です。

木野 旅人 「2年間での2300本ノック」

この2年間を振り返って、今後臨床能力を自己研鑽していくための基盤を作れたと思います。患者さんへの問診、診察、検査、結果解釈、治療、退院調整といった一連の治療経過を繰り返し訓練してきたことで、先を見据えた治療計画を立てるようになりました。まずは患者さん一人一人の訴えを的確に聴取し、何が問題か、その問題点に対してどのようにアプローチして病態を掴むか、そして最善の治療を行うために上級医の先生の経験や文献を調べ、じっくり考えました。暗中模索の中、患者さんの病態を掴み始め、治療について再評価を重ねる、この繰り返しにより、より核心に迫る診断治療計画を立てられるようになってきたと思います。退院調整においても同様で、今の病態・ADLを保ち向上させることができるかをどのように指導するかを学び、自分の選択肢が豊かになったと思います。この過程を外来患者さんで2000人、入院患者さんで300人に対して実践することができました。忍耐強く指導してくださった先生方、共に患者さんを支えてくださった病棟の方々、研修を影で支えてくださった人材育成センターの皆様に厚く御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。

〔10年後の自分について〕
循環器という専門分野で研鑽を積みながらも、大局を読む広い視野を保ち、基礎と研究の橋渡し役となり、公衆衛生の分野でも自分の特徴を活かせる医師になっていることを信じています。地元の医療を救ってください。

辛島 千尋

知らない土地で、知らない人に囲まれて、やったことのないことをして過ごす。ちょっとしたターニングポイントだったと思います。
器用ではないので、この2年間は目の前のことで日々精一杯でした。猪突猛進とか、ソルジャー系女子などと揶揄され、得たものは数えきれない、失ったものは女子力と音楽と読書(医学関係以外)とお買い物の時間。あと、患者さんや指導医、同期、後輩、コメディカルとのコミュニケーションを通じて、ひとが何を幸せとして、何をして喜ぶのかということを少し考えていました。
結局、私は医師という職業を通じて何をしたいか。循環器という科を選択しましたが、その答えを出す手段になるといいと思っています。
この病院のパワーは駆け出しの医者にとって適切で健全だと思いました。各科の先生方の言葉が今も残っていて、私の選択は間違っていなかったと思っています。またさみしくなったら戻ってきたいです。本当にありがとうございました。

〔10年後の自分について〕
心臓血管、カテーテル治療と医学統計に関わる、おもしろみのある人間。
あわよくば、子供が二人くらいいて、手作りのおやつを作る、
自分の母のような母に!!

花岡 美枝子 『艱難汝を玉にす』

良い医者になりたい、鍛えられたい、そんな思いを胸に始まった研修生活でしたが、早々に自分の知識不足、理解力・判断力の低さをまざまざと突きつけられ、初心はどこへ行ったか逃げたい、辞めたいと考えたりもしました。院内にいる時間の割に自分の成長を感じられず、ただただ気持ちばかりが焦っていました。
2年間の研修が終わりに近づいている今でも、自分の未熟さに嫌気がさすことばかりですが、良い医者になりたいという気持ちが強くなっていると実感しています。それは入職時の漠然とした気持ちとは異なり、実際に多くの患者さんの診療に当たらせて頂き、その方々の病気だけではなく生き方を考えさせられた事でより形になったのだと思います。まだ医師として駆け出したばかりですが、聖隷浜松病院で最初の2年間を送ることができ本当に幸せに感じています。専門医研修も引き続き当院で研修させて頂く事になりましたので、今後とも宜しくご指導の程お願い申し上げます。

〔10年後の自分について〕
まだ専門に関しても悩んでいる最中で全く想像がつきませんが、謙虚に向上心を持ち続けていて欲しいです。あと3児の母になってたい:)☆

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