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ホーム  > 臨床研修医  > 修了生の声 第20期生

修了生の声 第20期生

2025年3月に第20期生 15名全員が修了されました。修了にあたり、この2年間を振り返ってのお言葉をいただきました。掲載にご協力いただき、「修了生の声」としてこのページに残しております。


揚村 遼 ~人生の分岐点~ 

早いもので医者になってから2年が経ちました.素敵なご縁に恵まれ,楽しく多くを学ぶことができたと思っています(辛いことももちろんありました.)
今までは何の縁もなかった浜松市ですが,聖隷浜松病院と浜松祭りが僕の人生を大きく変えました.そんなわけでタイトルは人生の分岐点とさせていただきます.
2年間を語るには空白が少なすぎますが,簡単に感謝の言葉を述べさせていただければと思います.先生方,他職種の皆様,人材育成センターの皆様,その他関わりのある皆様,短い間ではありましたがお世話になりました.ありがとうございました.
右に示すは,鉈で左示指の伸筋腱を切断したオペ前の写真になります.NATA BOYとして各病棟に認知され働きやすくなりました.研修医の皆さん当直変わってくれてありがとうございました.

荒井 祐人 ~一本の蝋燭たれ~

私が最も尊敬する偉人、斎藤隆夫先生は「(政治家は)一本の蝋燭たれ。」という言葉を遺しています。この言葉は、「自らの身を燃やし、身を削りながら世の中の隅々まで照らし出し、よりよい社会を造るべく働くべきある」という意です。この言葉は政治家にだけに当てはまるものではなく医師としての生き方にも当てはまると考えます。
聖隷浜松病院での初期研修は自分自身をより太くより明るい蝋燭に成長させる絶好の機会でした。時にはうまくいかず、蝋燭の炎が揺らぐように私も迷いや不安を感じることがありましたが、周りの人々の支えによってなんとか乗り切ることができました。これからの人生も蝋燭で有り続けたいと思います。そして、その灯りがより多くの人の人生を照らせるようにさらに努力をしていきたいです。
と、まあ柄にもなくお堅い文章を書きましたが、要するに聖浜での初期研修は概ねオールハッピーでした!お世話になった皆様本当にありがとうございました!!

伊藤 諒太 ~好機逸すべからず~

今から3年前、たまたま実習していたのが聖隷浜松病院でした。研修医の先輩方の背中がかっこよく見えたのが印象的でしたが、まさか縁あってここで初期研修をすることになるとは、当時は思いもしませんでした。実際に始まってみると、慣れないことの連続で何度も打ちひしがれ、あまりの辛さに大好きなご飯の味がしなくなったこともありました。この先も忘れることはないでしょう。
マイペースでのんびり屋の自分を快く受け入れてくれた、バイタリティ溢れる同期達。研修をなんとかやり切れたのは彼らの存在があってこそ。素敵な仲間に巡り会えたことは、自分の人生の財産です。また、飲み込みの悪い自分に対しても、嫌な顔をせずに根気よく向き合ってくださった上級医の先生方。おかげさまで、多少なりとも成長を実感できました。
決して楽とは言えない、大変なことも多い濃い時間でしたが、こうした好機に恵まれた2年間でもありました。この経験を大切に、いつの日か次世代に還元していきたいと思います。ありがとうございました。

上田 華子 ~2年間を振り返って~

静岡の病院を受験しようと急遽6年生の5月に病院を調べ始め、ノリと勢いで聖浜を受験しました。総診の見学で先輩方の雰囲気に惹かれ、この病院が1番自分に合うなと感じたものの、縁もゆかりもない浜松に来るのはとても不安でした。
入職してからも泣きたくなるような日や(実際に泣いた日もありましたが…)辛い日々もありましたが、必ず側に頑張っている研修医の仲間がいて、その姿をみて自分も頑張ろうと踏ん張ることができました。切磋琢磨し、周りの優秀な研修医に引っ張られて成長できた気がします。
ノリと勢いで病院を決めたのに、同期や先輩後輩に恵まれ、人間としても成長でき、医療者としての基礎を叩き込んでもらえたとても濃密で貴重な2年になりました。聖浜で培った学びを活かし、これからも精進していきます。2年間ありがとうございました!

川口 真子 ~患者を診る~

初期研修医でも自力で診療して退院まで見届けたい!と考え、主治医制のある聖隷浜松病院で研修を始めた。それからの日々は患者の命を担う責任の重みに潰されそうになる日々だった。とあるERでは”お前の頭の中に答えはない”と怒られ、必死に調べて結論を出すと”お前は本ばっかみるからこんな(ろくでもない)治療を考えるんだ”とさらに怒られた。母校の建学の精神”病気を診ずして病人を診よ”が頭をよぎった。検査の異常値に飛びつき、患者の身体所見や背景をろくに診ない自分の診療を恥じ、勝手に進んでいく診療をただ立って見ていたあの瞬間は今後も忘れないだろう。医師になって2年が経とうとするが”患者を診る”はできるようになっているのか。正直自信はない。しかし、初期研修医でも主治医になれる制度だから、熱心に指導してくださる指導医がいるから、患者の気持ちを引き出すコメディカルの方々がいるから、切磋琢磨できる同期に恵まれたから、不器用ながら私なりに患者と向き合うようになれたと思う。
2年間、本当にありがとうございました。

川北 カイキ ~自分がやりたいこと・2年間を振り返って~

研修医室に帰ると必ず同期や後輩がいて、今日やった事を共有して一緒にご飯を食べに行くというのが日課でした。このような切磋琢磨一緒に頑張ってくれる同期や後輩がいて、みんなが気軽に話せる環境がどのくらいありがたかったのかおそらく3年目になって痛感すると思います。
また研修期間中、たくさんのサポートをいただきながら学生の時からやりたかったポルトガル語と英語を使った診療やられる機会が多かったです。すでにAIや翻訳機の発展によって多言語の診療は何不自由なくできているかもしれませんが、医師が直接説明できること、何よりも患者さんの言葉を直接受け止めることができることは大きな強みだと考え、今後も需要があると研修を通して実感しました。
痛みやしびれ、脱力など定性的な評価が多い脳神経内科は自分の言語を一番に活かせて、自分が進むべき分野だと信じて今後神経内科学にどっぷり浸かりたいと考えています。
2年間本当にありがとうございました。

川本 あずさ ~Endless Journey~

高校生のときから自分が何がやりたいか全く分からなかった。なんとなく東大に行き、農学部に行き、転学して看護学部に行き、助産師をやってみたけどなんか違うと医学部に入り直した。そのまま産婦人科医になるつもりだったのに、まさかの泌尿器科へ進むことに。こんな人生全く想定なんてしていなかった。いろいろな人生経験があるという意味では強みなのかもしれないけど、厳しい見方をすればただの優柔不断でモラトリアムから抜け出せていないだけ。きっとこの先も思ってもいない方向に進路変更をする可能性も私なら充分にありえる。でも、いつかはきっと自分にぴったりな仕事が見つかると淡い期待を持ちながらこの先も自分の人生を突き進んでいこうと思う。
 最後に、まさか聖隷浜松病院に研修に来ると思ってもいなかったけど、静岡に残りたいと思うぐらい良い研修病院だった。お世話になった先生方には感謝の気持ちしかない。2年間本当にありがとうございました。

佐々木 彰之 ~20年後の半世紀生きた僕はこの二年をどう思うか~

ありきたりな始まりですが、約四年前にこの病院と縁ができてから本当にあっという間に二年が過ぎました。印象的な出来事は、お世話になった先生に「機会損失という言葉はあるのになぜ機会獲得、機会利益という言葉はないのだろうか」と言われたことかもしれません。ここ聖隷浜松病院で働いて感じたことは、機会はすでに自分の近くに溢れるほど存在しており、環境による差は多少あるにせよ、案外あらゆるものはすでに身近にあるからこそ選択は失うか活かすかだけなのかもしれません。今後も自分の思い通りにいかないこと、苦虫を潰すような気分になることはいくらでもあると思いますが、たまには泥臭くそのときを楽しんで精進したいと思います。初めての社会人としての生活を多くの刺激を得ることができ、限りなく自由に過ごすことができた浜松にあるこの病院に感謝しています。いろんな新たな感情を抱かせていただいた同期や後輩にも感謝しています。お世話になりました。

髙橋 里奈 ~誠実に、しなやかに~

「初期研修は修行」と自分に言い聞かせて、聖隷浜松病院の門を叩いてから2年が経とうとしています。
初めてづくしの状況の中、人間が生きものの生き死にを自由にするのはおこがましいけれど、医師としての振る舞いはどうしたらいいのか?悩みがつきない日々でした。
そんな中、熱い思いを持った上級医、他職種の方から、患者さんのために何ができるかを考え動き続けること、どんな時でも逃げないで立ち向かうことの大切さを教えていただきました。先輩、後輩、同期には、大変なことを分かち合い、嬉しいことは笑い合って支えてもらいました。浜松は熱気に溢れた街だということも知りました。
人生は一度きりだから、ぜーんぶ楽しもう!という気持ちで。患者さんに限らず、関わってくださる方皆さんがそう思って生きていくことができるように、誠実に、しなやかに、全力で歩んでいきたいと思います。ありがとうございました!

濱廣 優輝 ~ここが原点~

2年前、これから始まる浜松での生活や、聖隷浜松病院でプライマリケアについて学ぶ慌ただしい日々を心待ちにしていた。しかし、実際の日々はそんなに甘くなく、診療するその責任の重さや自分の無力さに「これから医者としてやっていけるのか」と不安になることもあった。
そんな中支えられたのは人間関係だった。様々な大学から集まった同期達は時に励まし合い、ユーモアも忘れず、切磋琢磨しあう素晴らしい仲間達だった。また、先生方の最新のエビデンスを学び続け、それに基づき治療を選択する姿には、自分もいつかこうありたいと心を打たれ、日々の診療の中で意識するようになった。
自分の目指す医師像は「generalist」だ。3年目からは呼吸器内科として働くこととなるが、一つの臓器や分野にとらわれず、いずれは家庭医や訪問医として地域医療に貢献していきたいと思っている。医師2年目、未熟なところも多い自分ではあるが、聖隷浜松病院という高度な医療を幅広く提供できたこの場所で学んだ全てを持って九州に帰り、宮崎の地で還元していきたいと思う。

深作 航平 ~“医の知”の活かし方~

「まず登る山を決めよ。」
孫正義氏のこの言葉は、敷かれたレールを直走ってきた僕の心を幾度となく揺さぶった。大学時代から散々迷った末、まず臨床医として現場に出よう、かつ折角やるなら一流の忙しい病院で。そう考え、当院を研修先に選んだ。
いざ研修が幕を開けると、曜日感覚を失うほど多忙な生活と自身の知識不足に絶望し、涙することもあったが、周囲の皆様に支えられ少しずつ成長していく喜びを味わった。コスパタイパだのと言われがちな現代で、見捨てず親身に指導をして下さる上級医、熱い思いを抱き全国から集結した同僚と働ける環境に身を置く自分は幸運である。
一方で、社会構造に意識が向きがちな自分は葛藤も多かった。疾患の治癒だけでは解決できない患者の存在、持続可能とは言い難い医療体制等、重老齢社会を迎えんとする我が国の抱える課題が、新聞紙面で読んだ以上の迫力で、突如として眼前に現れたのである。
そんな中、当院の特色でもあるPublic health研修に参加し、腰を据えて登りたい山の稜線が徐々に浮かび上がってきた。“医の知”を駆使して人々の“命”を最大限輝かせるという医師としての大義はそのままに、自分なりの道筋で、その頂を目指し続けたい。

藤田 祐也 ~26倍の跳躍~

生まれこそ愛知県でしたが、小学校から大学までに留まらず、就職先までをも浜松ですごす人生を送ってきました。浜松での生活圏の最南端は実家で最北端が大学ですが、その距離は直線で10kmもありません。つまり半径5kmの円内が僕の人生のすべてと言っても過言ではありませんでした。
このままずっと浜松にいるんだと決めて就職してから2年経った今、気づけば来年度からは小児科医として兵庫県で働くことになっていました。浜松からの距離はざっくり260kmでしたので、実に人生基準で26倍の大きすぎる一歩を踏み出したことになります。
 思い返せばこれといったきっかけは一つではなかったと思います。いろんな将来や夢を思い描く同期がいて、そんな型にはまらない同期たちとの日々があって、色んな価値観を教えてくださった素敵な上級医の先生がいて。数多の偶然が重ならなければ起こらなかった巡り合わせの中で、小さな出来事やきっかけの積み重ねが人生の選択を決める後押しをしてくれました。聖浜での2年間はその全てがかけがえのない思い出です。自分の選択が良かったと思えるように新天地でも日々邁進していきます。

藤野 桃子 ~まだまだ道半ば~

学生の時、聖隷浜松の外科で実習させていただいた時から縁あって、初期研修もお世話になりました。学生の時から外科の先生方、入職後は各科の先生や病棟の看護師さんや技師さんなどコメディカルワーカーの方々などに沢山お世話になりました。ここで働いている中で、今後の進路・専門を考える時、自分の中での思いが徐々に言語化できるようになり、それを実現するためにまずは救急科専門医をめざして兵庫県豊岡で働きたいと思っています。自分の考える医師像とは、「例えば倒れている人がいたとき、場所を選ばず目の前の人を助けられる医師」と考えるようになりました。それはここでER当直などに入って、専門性ももちろん大事だけど、プライマリーケアの重要性を感じるようになったことに起因すると思います。最終的に自分は何がしたいのか正直まだわかりませんが、前に進み続けて、どこかにいる誰かを少しでも手助けできる医師になれればと思います。2年間大変お世話になりました。
(右の写真は大好きなてんかん科杉江先生と)

山川 菜穂子 ~学んで思わざれば則ち罔し~

学生時代、主体的に医療ができて全国から人が集まる病院で働きたいと思い聖隷浜松病院にたどり着きました。2年を経て今思うことは、医者人生のスタートを聖浜で切ることができて本当によかったということです。
入職した当初は、聖浜っぽくないねと言われ、優秀でキャラの濃すぎる同期に圧倒され、ああ入職先間違えたなと思っていました。診療では自分の不甲斐なさに情けなくなり、何度となく涙を堪えたことでしょう。しかし、そんな自分を救ってくれたのもまた同期であり、自分もこんな医者になりたいと思える指導医の先生方の姿でした。今では研修医室の居心地はよく、医療は苦しいけれど面白いなと思えるようになりました。本当に環境にも人にも恵まれた2年間でした。考えることから決して逃げず、誠実に患者さんと向き合う医者になりたいと思います。最後に、研修で自分に関わっていただいたすべての方に感謝申し上げます。ありがとうございました

山本 航輝 ~牛の歩みも千里~

「主治医として、患者さんの変化には上級医の誰よりも詳しいと自身をもって言えるようになれ」
主治医として主体的に取り組むことができる点に惹かれ、聖隷浜松を研修先に選んだ。しかし、研修がはじまると、主治医としての責任の重さや無力感に押しつぶされそうで・・・そんな中、尊敬する先輩に最初の一言を言われた。この2年間、思い描いていたようなものとはほど遠い、不格好な研修医であったが、この言葉を胸に自分なりに患者さんに向き合い続け、一歩ずつ進むことができたのではないかと思う。
そしてこのように2年間取り組み続けることができたのは、上級医の先生方、コメディカルの方々、人材育成センターの方々、そしてなにより19期の先輩方、20期の同期、21期の後輩たちに支えられたからに他ならない。いつかまた会った時、「山本も少しは成長したな」と思ってもらえるよう、そして次は自分が支える側に回れるように、ゆっくりかもしれないが、これからも医師として前進を続けていきたいと思う。
2年間本当にありがとうございました!!

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