井川 杏奈 ~出会い~
浮田 大貴 ~御世話になりました!これからもお願いします!~
今後自分は整形外科医として、また新たに1から研修をしていく生活が始まりますが、2年間の経験を糧に日々精進していきたいと思います。
2年間ありがとうございました。
大竹 健人 ~憧れを追う2年間~
それでもなんとか頑張ろうと思えたのは、見学でみた先輩の、優しくて主体的で優秀な姿への、強い憧れがあったからでした。あんな風になりたいと、ずっと思っていました。
それだけではありません。この病院でさらにいくつもの、尊敬できる姿、素晴らしい考え方、美しい技術に出会いました。この2年間はそんな憧れを見つけては、追いかける日々だったと思います。
僕は個性には乏しくて、確固たる強みのない研修医でした。でもだからこそ、ここで関わる人たちの良いところを、少なからず吸収させてもらうことができたとも思うのです。
僕は関わる人に恵まれた、本当に幸せな2年間を過ごしました。初期研修が、医師としての基礎を作る大事な2年間だとすれば、僕はここでの皆さんとの関わりの中で、医師としての基礎を得ました。そのことを、とても嬉しく思います。2年間ありがとうございました。
河西 怜 ~医師としてのスタートライン~
4月から主治医になり、たいした知識もないまま患者さんの前に立つことが不安で、自分の考える治療は医学的にベストなのか、患者にとってベストなのか、医療の難しさにずっと悩まされてきました。そんなときに上級医や、コメディカルの方々そして同期の皆からのアドバイスでいろいろな視点から考える機会があったのは、本当に恵まれていたと感謝の気持ちでいっぱいです。
今後は外傷外科を目指すにあたり外科研修、さらには救急での経験も積んでいくため大変長い道のりになると思いますが、ここで学んだ総合診療の視点、プライマリケアの基礎を大切にしながら、初心を忘れず精進して参ります。
久保田 悠介 ~たくさんの人に支えてもらった2年間~
上級医の先生方は厳しくも温かく見守ってくださり、ただ教わるだけでなく、暗中模索となることも多いながらも自分で考え診療を行えた経験は、僕の中に責任を持って患者さんと関わることの意味を教えてくれました。そして常に僕たちを支えてくれた人材育成センターの方々、たくさんの刺激を与えてくれた同期、先輩方、後輩には感謝してもしきれません。
初期研修で味わったのは嬉しいことよりもつらさや歯がゆさ、どうしようもない感情ばかりでした。自分でもどう表出したらいいかわからなかったけれど、そんな感情を共有し、一緒に乗り越えてくれる同期と医師としてのスタートをきれて幸せだったと感じています。月並みな言葉ではありますが、2年間ありがとうございました。
嶋本 顕人 ~医療とは何のためにあるのか~
いざ研修医が始まると、目の前の患者さんのことで精一杯でその疑問は隠れた。
しかし改めて振り返えると、どんなに高齢社会でACPという言葉が流行ってきた時代においても、目の前の患者や家族の「病気からなおりたい」という言葉の切実さに気づかされる。「生きたい」という個人の生物としての最大の欲求に真っ正面で向き合い応えられた時の医療の尊さ、他方で応えられなかったときの無力をひしひしと感じた。
この2年間の研修は個人の生物学的幸福へと向き合った期間であり、その姿勢をたくさんの指導医や先輩方,同期,後輩から学ばせて頂いた.
3年目からは,リハビリテーション医学へと進む.リハビリテーション医学は個人の生物学的幸福へと当然向き合う領域であるが、同時に純粋な生物学的幸福を超えた幸福と真っ正面に向き合う領域であると信じている。3年目からはそれらを学びながら最終的には全体への幸福へと貢献していきたい。
杉山 由夏 ~患者さんと家族に希望を~
武田 栞幸 ~Decision make~
武地 有希 ~医ヲ業トスル~
働き始めると“Saturation”が患者に通じないことも、オムツ排泄が恥ずかしいことも忘れがちだ。患者や家族の目線では治療内容よりも、説明は分かり易いか・診察は丁寧か・物腰柔らかく優しいか・訪室は頻回か、そういったところで「良い先生だった」かどうかを評価されることが多い。しかしコ・メディカルからは指示出しがわかりやすく且つ現場の働きに対して現実的で、話しかけやすい人物の方がよく、医師同士ではエビデンスのある知識が多いことを求められるのは当然だ。つまり「誰にとっても良い医師」というのは難しい。
卑近な例で言えば採血困難症例に「頻回採血は本人も看護師さんも大変だし減らそう」は患者さんの疾患や病状によっては「正解」ではないかもしれない。せん妄だからと安易に薬を使うのは危険だが、拒否しすぎても病棟は大変だ。医師免許は万能な免許だが私自身は万能とはほど遠い。だからせめて全ての人に感謝することと自己研鑽を積み続けることだけは忘れない医師でありたい。
中村 円香 ~一生モノの出逢いに恵まれた聖浜研修~
中山 真魚 【初期研修修了~たまごからひよこに~】
見学の時に、生き生きと楽しそうに学び、時に頭を抱え、主治医としてリハビリを拒否する患者さんのところに足繁く通う先生を見て、「楽」「勤」「優」を感じ、憧れ感銘を受けたことを今でも忘れません。身を置けば近づけると思ってきましたが、やはり怠け者で弱い自分は捨てきれず、要所要所で顔を出してしまいました。ただ、ハードにもソフトにも恵まれたこの環境に身を置けたこと自体がかけがえのない経験達の礎になっていることは確信できます。自分の人生を省みると、いつも何かを始めると大体の落とし穴は全てはまり、自分で堀った落とし穴にもはまる人生でした。案の定、1年目では様々なことに翻弄されバタバタしており、我ながら学年1心配な人間であったと思います。しかし、同期、上の先生方、他職種の方々、患者さんの言葉、姿に助けられ、折れることなく気づけば、乗り越えることができました。落とし穴には全てはまるけれど、比較的図太く生きていけるのだという小さい自信にもなりました。
来年からは、東京進出し、循環器内科のひよこになります。戻ってきた際は、どんな形であれ、何か一つでも貢献できるように気を引き締め、また一から頑張ります。
野口 拓樹 ~新たな家族の一歩~
家庭があっても他の同期に同じように研修を頑張りたいと体を壊しながらも足掻いた1年目。体調を崩さないように、家庭の時間も作れるようにオンオフを意識した2年目。振り返ると、仕事と家庭の両立について日々悩み、多くの人に助けてもらってばかりの研修生活であった。
でもこうして悩んだ日々は、これからの産婦人科医としての人生で決して無駄ではない。そう思える。
産婦人科は、新たな命の誕生の現場。その責任は重い。一つのミスで、その尊い命を含め家族の人生も大きく変えてしまう可能性がある。「出産はゴールではない。出産は新たな家族のスタート。」我が家の経験からそう感じた。初めての妊娠で健診を受診する夫婦は、ママ、パパとしては0歳。妊娠、出産、育児と初めてのことが休む間もなく連続し押し掛けてくる。もちろん多くの幸せもあるが想像より大変なことも多い。産婦人科医として関われる部分は限られるが、少なくとも安心して新たな家族の一歩を歩み出せるように全力でサポートしたい。自らの経験で多くの壁にぶつかってきたからこそ為し得るものがあると思う。
医師としても父としても2歳となった今、少しは成長できているだろうか。そんなこと今は分からないが、数十年後振り返った際に成長できていたと思えるように、日々悩みながら0歳の産婦人科医として新たな一歩を歩みたい。
山 明日美 ~原点~
思い出深いエピソードを紹介する。
致死性不整脈で心肺停止となり心拍再開後にICU入院となった男性。数週間の入院で意識は完全に回復しペースメーカーを留置して無事自宅に退院した。これこそ、まさに救命である。私が主治医ではなかったが、非常に喜ばしい瞬間だった。患者本人だけでなく家族も幸せと感じただろう。一方で、毎晩、様々な主訴で救急外来に受診する独居の女性。毎回、主訴に準じた検査を行うが異常なく帰宅となった。この方の求めているものは果たして医療だろうか。
人によって幸せの感じ方は様々であるが、健康であり、衣食住を送れることは最低限の幸せではないか。世の中には病院に来ないが、声なき声をあげて困っている人は多く存在する。4月以降、産業医という名のもと、病院という枠の外に踏みだし、広い社会の中で声なき声に耳を傾け、誰かの幸せへの手助けをしたいと心から願う。一人一人の小さな幸せが幸せな社会への架け橋になることを信じて。
最後に、この場を借りて私の幸せを支えて下さった当院スタッフ全員に謝辞を申したい。
山口 真裕美 ~SpecialityとGenerality~
総合診療をやりたいと思って始まった初期研修ですが、いろんな路線変更が合わさって腎臓内科として今後の道を進んでいくことに決めました。進路決めたからってそれだけ診てればいいわけじゃないんだぞ、と某先生からいただいたお言葉と進路を決めたきっかけになる「genelalityの中にspecialityを持つ」という心を忘れず、2年間で培った経験を元に頑張っていきたいと思っています。来年からもよろしくお願いします!
山本 剛裕 ~答えなき世界に足を踏み入れて~
山本 裕記 ~感謝~
最後になりましたが2年間関わってくださった全ての方に感謝申し上げます。大変お世話になりました。3年目以降も初心を忘れず、「周りを笑顔に」をモットーに頑張ります!