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修了生の声 第14期生(2019年3月修了)

荒川 朋弥 ~2年間とこれから~

マッチング結果発表当日、24年前自分が産まれたこの病院で医者人生の一歩を踏み出せると知った時の喜びと漠然とした不安を感じたことを、今でもよく覚えています。実際に業務が始まってみると、特に一年目は当直や主治医制での夜間の呼び出しなど日々の業務をこなすことで精一杯な毎日でした。しかし、今思い返すと上級医の先生方のバックアップがある中で診療の第一線に立つことは、この病院で今までしかできないことであると痛感するとともに、入職した時と比べると少しずつでも確かに成長することができた自分を実感します。
最後になりましたが、熱心に指導くださった指導医、13期の先生方、苦楽を共にした同期、15期の後輩、サポートしてくださった人材育成センターやコメディカルの方達に感謝致します。来年からもこの病院でさらなる成長を目指していくとともに、この研修で得たものを少しずつでも還元していけたらいいなと思っています。
2年間ありがとうございました。

有谷 拓実 ~再スタート~

2年前、学生生活を終え、遂に憧れの職業だった医師になりました。身近に医師が存在せず、たいして頭も良くなかった自分にとって、医師になったということは一つのゴールのような感覚になっていました。そのため、医師としての責任感の重圧にくじけそうなときもありましたが、モチベーションの高い同期や、プロ意識の高いかっこいい上級医、感謝の言葉をかけてくださる患者さん方のおかげでここまでなんとかやってこれました。本当に恵まれていたと思います。医師になっただけではまだ何も達成しておらず、医師として何を成すのかが大切であり、ようやく第2の人生が始まったのだということを実感しました。恥ずかしながらそんな当たり前のことを痛感しております。自分は第2の人生の舞台として心臓血管外科を選択しました。厳しい道のりだとは思いますが、自分の手で命を救う日を夢見て、日々猛進していきたいと思います。
2年間大変お世話になりました。支えてくださった皆様ありがとうございました。

石瀬 裕子 ~人の中で生きるということ~ 

聖隷浜松病院で研修を始めて早2年。今、初期研修が終わろうとしています。私は今まで「自分は自分で頑張ってここまできた」と思っていました。でも、それは井の中の蛙で、世の中には自分よりも努力をしている人や人間性に優れた人が沢山いて、ここで出会った上級医の先生方、研修医の同期・先輩・後輩、スタッフの方々がそのことに気づかせてくれました。新しい出会いはとても刺激的で戸惑うこともありましたが、今となってはその全てが私に成長をもたらしてくれたと感じています。特に2年生になって思うのは、「自分1人でできることは限られている」ということ。1年生の時には周囲の人の助言や提言をなかなか受け入れられず、意固地になったこともありましたが、2年生になり、看護師さんの視点が鋭く的確なこと、1年生や同期から教わることがいかに多いかなど、人の話に耳を傾けることで多くのことに気がつけるようになりました。また、周りの人の意見を聞いてみようと思えるようになった時、研修がとても楽しくなったのを覚えています。もちろん、医師である以上、最終判断を行うことやリーダーシップを取ることも必要となるでしょう。様々なリーダーシップの価値観があるとは思いますが、私は「人の中で生きるリーダー」となりたいと思っています。
まだまだここで挑戦してみたいことがあり、来年からは内科の後期研修をさせていただくことにしました。
来春になるとまた新しい出会いがあるでしょう。楽しみに待ちたいと思います。人との出会いを大切にこれからも日々
前進できますように。

伊藤 静 ~収束~

よく、猪突猛進だと言われた。人の話を聞けと言われた。現在はどうだろうか。多少とも意外に思う人がいるとすれば、人のアドバイスを聞いて多少なりとも変化してこれたのかも知れない。これまで、ブレだけは大きい人生だったように思う。壁にぶつかってブレながらも、基本は真っ直ぐ進み続けてきたつもりだ。数学とか統計に収束って概念があるけど、自分はどこかに収束しているのか?その先に何があろうと、自分にやれることは、これまで通り、ぶつかっても前へ、真っ直ぐ進むだけだ。
日本は多死社会を迎え、今その真っただ中である。そんな社会の変化に真っ直ぐ突っ込んだ自分の役割は、何だろう。突然の若年者の死、精神疾患を有する者の死、高齢者の死、超高齢者の死・・・それらの死に、または彼らが死に向かう局面に臨むにあたり、臨床研修2年間で得た経験を生かせるはずだと考えるのは、自己満足ではないと思うとともに、おごりだとも思う。

内田 小百合 ~縁を紡ぐ~

不思議なご縁があり、浜松という新天地で医師としての一歩を踏み出してから早2年が経ちました。振り返れば良い意味で苦しみ、悩んだ時間が多かったように感じます。過酷な日常の中でも自分が過ごしている時間には十分価値があると実感し、診療の面白み、やりがいを知ることができました。これは研修医という立場であっても、一人の医師として意見を尊重し、見守り支えてくださった上級医の先生方、コメディカル、スタッフの皆様がいたからこそだと思います。また辛い時も向上心の高い同期に負けじという思いで踏ん張ることができ、本当に感謝の絶えない日々でした。13~15期研修医と切磋琢磨した日々は一生の宝です。
またこの病院で尊敬する沢山の恩師に出会い、今後の医師としての在り方を示す素敵な言葉をいただきました。常に正しく細やかな診療を行う為の努力を厭わず、且つ患者さんへの敬意を決して忘れることのない上司はいつまでも私の憧れであり理想像です。
この病院に出会えたことは今後の医師人生にとって重要な意味を持つに違いないと思いますし、意味があったと言えるように歩みたいと思います。来たるAI時代に、先人の真似をするだけでは内科医師として生き残ることも難しいかもしれないですが、時を読みしなやかに生きていきたいと思います。
お世話になりありがとうございました、またいつか。

茂野 綾美 ~I decide who I am.~

医師になることは、私にとって贖罪でした。と書くと大袈裟ですが、それまでのキャリアから方向転換をして医学部に編入したことは、25歳の私にとっては大きな決断でした。前職と大きく異なるのは、この世界には生と死、健康と病という絶対的な尺度があること。しかし実際に医師になり、患者さんと接するようになって、健やかであることと、病むことの境界線はどんどんファジーになっていきました。目の前にいる方にとって何が良いのか、何が望ましいのか。答えのない問いを抱えながら、これからもずっと、悩み続けるのだろうと思います。聖隷での2年間を経て、躓いたときにそっと手を差し伸べてあげられる優しさと、社会のセーフティネットを担える強さを持った医師を目指そうと思うようになりました。生命の儚さを感じつつ、そうは簡単に死なせてはくれない現実を嘆きつつ、健やかで平和な世界のために貢献できる一員でありたいと思います。ありがとうございました。

德山 仁美 ~迷って、迷って。でも勢いで。(やっぱり好きなことから。)~

縁もゆかりもない浜松の地で社会人としての一歩を踏み出して早2年が経とうとしています。医師としての最初の2年でよい土台作りを、と思い飛び込んできた場所でした。
家に帰りたい自分を踏ん張らせてくれたのは直明けで机にかじりついている同期でした。診療に困る私を見逃さずにいてくれたのは上級医でした。
診療に集中するために患者周囲のことをやってくれたのはコ・メディカルの方達でした。
かっこ悪い姿を見せたくないと勉強させてくれたのは後輩達でした。
周囲の方達のおかげで2年前とはまったく違う自分に成長できたと感じる一方で変わらないものもあります。
何事においてもまず飛び込んでみる自分。短期決戦が好きな自分。
進路についてもある意味自分との戦い。迷って迷って。頑張りたい、好きなことをやってみる自分を大切にすることにしました。「とりあえず」はその場しのぎに聞こえますが、先のことはわからないし、その言葉で今動けるなら悪いことではないし、今の自分の気持ちを一番正直に表現した言葉だなと思いました。
とりあえず。まずは1年から。だから全力で。
一緒に踏ん張った同期、一緒に成長した後輩、見守ってくださった先生方、コ・メディカルの方達に感謝です。
来年度もどうぞよろしくお願いします。

中嶋 広太 ~聖隷浜松での出会いと経験と~

学生時代に麻酔科実習で来た聖隷浜松。実習の時は浜松観光が目的で、ここで臨床研修をするとは全く想像していなかった。だが全国から集まる研修医と熱心な指導医の先生がいるという噂を聞き採用試験を受け、臨床研修を浜松で始めることになった。中でも総合診療内科での初めの2か月が、自分にとって最も大きな経験となった。マンツーマンで隣に付きっきりで教えてくださった指導医の先生。朝から晩まで知識のシャワーを浴び、”本当にその判断でよいのか?”と問いかけられた毎日。その先生の、四六時中患者さんのことを考え、患者さんへの愛に溢れた姿を間近に見たことが、自分の中で医師としての姿勢を形作る大きな経験となった。自分がそんな医師になれる自信はないが、最も大事な姿勢を忘れずに心掛けたい。
臨床研修を終えた後は脳神経外科へ進むが、ここから先の医師人生は自分が選択した道であり、自己責任でもあることを実感している。自分は脳神経外科医となる前に、一人の医師、社会人である。医師であることが人生の全てではない。そんな中で選んだ(選んでしまった?笑)職業だからこそ、自分の人生の一部として楽しんでいきたい。
素敵な出会いを与えてくれた聖隷浜松病院と、お世話になった全ての人に感謝致します。

髙山 早紀 ~わたしの宝物~

北の大地から、遠い浜松の地に移住して早2年が経ちました。
入職当初は初めての一人暮らしと新社会人が重なり、季節の移ろいにも気づけないほどに忙殺された日々でしたが、多くの人に支えられ、研修修了のこの日を迎えることができました。大学を卒業し飛び込んだ医療の現場は、ぬるま湯につかって生きてきた20代そこそこの私が向き合うにはあまりに重い現実で、人の命というかけがえのないものと向き合う医師にふさわしい人格になるために、もがき続けた2年間でもありました。
そんな中、人として医師として尊敬できるたくさんの上級医や、忙しい日々の中でいつも明るく研鑽に励む研修医の仲間、いつもあたたかい職員の方々に恵まれたことが、わたしの研修生活の一番の宝となりました。知り合いがひとりもおらず心細かった浜松も、今では駅に着くと安心する、馴染みある土地となり、後期研修もこの地で頑張ることに決めました。
いつまでも初心と感謝の心を忘れず、たくさんの子どもたちの笑顔に出会えるよう頑張っていきたいと思います。自分の責務と感じています。
ありがとうございました。

林 暁利 ~「木を見て森を見ず」の林にはならないように~

体を鍛えてコンテストに出場したり芸能活動をしたり…自分の肉体と向き合っていた学生時代から一変して、医師となり診療を通して患者さんの人生と向き合うことが増えました。
医師として一体何ができるのか。たくさんの患者さんと出会い、そのときできる精一杯を尽くしても、自分の無力さを感じ、時には行っていることが本当に正しいのかと医療のジレンマを感じることも多かったです。そんなことを考えているうちに次の何かと向き合い、気がつけば日々は過ぎていました。
医療ができることは限られているのかもしれません。ただどんな状況でも変わらないこともあるはずです。当たり前ですが、病気だけではなく、患者さんと真摯に向き合う姿勢、謙虚に学び続ける姿勢は大事にしていたいと思います。今までお世話になってきた人たちへの恩返しや育ってきた地域への貢献につながるように、医師として活躍していきたいです。
全国からモチベーションの高いメンバーが集う居心地の良い環境での臨床研修は、浜松から離れたことのない自分にとっては刺激となり大きな財産となりました。この2年間で培ってきたことをムダにしないためにも、ここから更に頑張らないといけないと思います。
お世話になりました全ての皆様に感謝申し上げます。そして今後ともよろしくお願い申し上げます。

廣部 航平 ~好きなものに理由はいらない~

先日実家に帰った際に幼稚園の卒園アルバムを見つけこのような文章を発見した。
「サッカーということばを聞くだけで目を輝かせてしまうひろべくん」
思い返すと2年前「小児医療の外科領域に携わりたい。」そう思って研修を開始した記憶がある。2年間様々な科を周り様々な患者に接し、自分の中の価値観も変化していったがその中でも自分は循環器内科の道に進むことにした。元々内科向きじゃない(自覚はしている)自分が内科に進むその理由は今振り返るとただただ好きだったからなんだなとその時思った。
研修の振り返りや感謝の言葉を綴れるような誇れた2年間の記憶がなく、好き勝手な文章を書いているが、人間は皆好きなことをして生きればいいと思う。一度きりしかない人生なんだから。
自分はこれからも好きなことをして生きていきたいと思う。きっと様々な苦難が待ち受けているだろうけども。
「廣部は何で循環器を選んだの?」-「ぼくは心臓が好きだったから。」
「パパは何でママを選んだの?」-「パパはママが好きだったから。」
「何で好きだったの?」-「好きなことに理由はいらないよ。」
何年後も目を輝かせてそう言っていたいものだ。

増田  拓 ~2年間を振り返って~

この2年間とてもたくさんのことがあった。結論としては、当院で、医師としてのスタートをきることができて幸せだったと思う。医師を始め、たくさんのスタッフに見守られ、指導を受けることで、患者への接し方であったり仕事への向かい方を学ぶことができた。一生を通してベースとなる経験を得ることができた。
話は変わるが、この2年間は本当によくお酒を飲んだ。誘っていただいた飲み会は基本断らないをモットーに、たくさんの方と交流させていただいた。そのおかげ(?)か2年目の後半では横や縦のつながりを活かした診療ができるようになったと感じた。これからも、聖浜で教わったことを軸に様々な人と良い関係を築きながら医師人生を歩んでいきたい。

森川 咲 ~感謝のこころ~

長いようであっという間の2年間の研修生活でした。多忙な中でも後輩の指導にあたってくださる上級医の先生方、研修医でも一人の医師として接してくださるコメディカルの方々、笑い合い助け合った同期や後輩。誰もがひたむきに患者さんのために一生懸命で、尊敬できる人とのたくさんの出会いがありました。聖隷浜松病院で研修できたことを心から誇りに思います。
その分、自分は患者さんに何ができるのか、時に失われてゆく命を前に問い続けた2年間でもありました。いっぱいいっぱいだった私に、担当患者さんがお手紙をくれました。ありがとう、と。また、感謝の心を忘れなければ人はいつまでも大丈夫です、と。医師として働かせていただけることへの感謝と責任を忘れずにこれからも歩んでいけたらなと思います。

山崎 裕起 ~縁もゆかりもない浜松での2年間~

心臓血管外科で過ごした2ヶ月間が楽しく心臓血管外科を志すようになりました。そんなとき、「内科の知識のない心臓血管外科医は活躍できない」という言葉をきき、内科医の下地ができ高齢者医療も行う急性期病院を探し、聖浜を選びました。中途半端でどこか適当な自分にとって、熱心に診療に従事し少しでも患者さんの転帰を変えられるように取り組む多くの研修医の姿は刺激になり続きました。そんな環境でも内科医としての知識については、自信なく片手に何かしらの教材を持ち続けていました。今もその姿は変わらず、どこまでも見通しが甘く、いつまでも知識の甘さ、妥協しやすい自分の性格と向き合う日々のなかで心臓血管外科という診療科で多くの人の生命を救う道を選びました。同期に負けないよう後悔なく歩めるようあえて進んでみようと思いました。いつか、みんなの前で胸をはれる医師になります。聖浜の多くの先生方、特に小出先生、秦先生、水野先生、西尾先生、堀由紀先生、本間陽一郎先生、いつまでも自分の師です。

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