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修了生の声 18期生

安藤 翔 ~人と違う線路からみえるもの~

昔から目新しいものが好きで、興味の方向もあちらこちらに向く自分にとっては初期研修というモラトリアム期間は“迷い”を増やす時間でした。Specialistになりたくてこの病院へ来たはずなのに、Generalistとしてももっと成長したいと思わせてくれたのはこの病院で出会えた恩師といえる先生方、そして同期の存在があったからです。そして悩みぬいた末に出した結論はSpecialist(産婦人科)×Generalist(救急科)という馴染みのないもの。悩んでいる自分に後押しをしてくれたたくさんの先生方・同期・スタッフの方々には感謝しかありません。僕はこれから人が通ったことのない線路を進むことになります。もしかしたら途中で行き止まりかもしれないし、回り回って出発点に帰ってくるかもしれません。次の路線への乗り換えには本当は不適なのかもしれません。それでも、僕のこの選択を応援してくれている人たちの期待に沿えるようにもう少しだけ浜松でお世話になっていきます。

飯田 圭祐 ~我々の強みは何か~

2年目の秋に保健医療科学院で公衆衛生の研修をさせていただく機会を得た。研修の一環で厚労省やフィリピン等に行く中で、外から見た我々の強みは何かということを考えた。それはずばり、「臨床現場を知っていること」である。
公衆衛生は学際的な分野である。医学は公衆衛生に資する数ある専門領域のひとつに過ぎない。医師免許所持者が公衆衛生や医療政策に関わろうとするとき、他分野の専門家と伍するには実際の臨床現場をよくわかっていることが強みになる(し、それくらいしか強みがないとも言える)。最近流行の医療ビジネス等でも同じことが言えるだろう。
さて、当院の初期研修はいわゆる「ハイパー病院」ということになっている。主治医制で何かあればすぐに呼ばれるだとか、救急は研修医がファーストタッチするだとか、そういったハイパー病院的研修の効用とは結局、「臨床現場を知っている」状態に少しでも早く近づけることなのではないだろうか。研修医という均質な集団の中でみんなと同じことをやっているとアパシーに陥りやすいかもしれない。しかし外から見れば、日々の業務が我々の強みを形成している、という視点は持っておいてもいいのではないだろうか。

伊東 夏央 ~凡事徹底~

聖隷浜松病院での初期研修は、日々できないことや分からないことの連続で自分の不甲斐なさを感じることが多かった。しかし、終わってみれば達成感が強く、環境に恵まれた2年間だったと思う。ここで経験したことの全てが財産であり、今後自分自身を助けてくれると確信している。
 2年前の入職時に自分の将来像を共有する機会があった。「自分の名前で生きる。」そんなことを言ったのを覚えている。今までもそしてこれからもその想いは変わらない。自分の人生に対して自分が責任をとって決定権を持つ。そのために、常に周りへの感謝を忘れずに凡事徹底で今後もより一層の自己研鑽を続けたい。
 熱い指導をして下さった先生方、関わって下さった医療スタッフの方、多くのサポートをして下さった人材育成センターの方、そして仲良くしてくれた尊敬する同期や後輩には感謝しかない。ありがとうございました。

折田 巧 ~Brachistochrone Curve~

泥臭さ、この2年間を振り返るとその言葉につきる。同期や先輩、後輩とともに毎日深夜まで研修医室に残り、ときに呼び出しを受けてもいないのに救急外来、カテ室、ICUまで出向いた。決して初期研修を器用に修了できたとは言えないが、確かな成長を感じられた研修生活であった。

物理の世界で、Brachistochrone Curve Problemという問題がある。特定の条件下では、最短距離を進むことが最速とは限らないことを示している。まさに、当院での研修はこれに近い感覚である。

そして来年以降もこの病院で働くことに決めた。決して自分の目指す姿への最短距離とは思えないが、最速でそこに辿り着けると確信したから。

自分の研修を支えてくださった全ての医療者、そして患者様に心より感謝の意を表します。この感謝を少しずつ還元していけるような人間になるべく、日々精進します。

齊藤 琢真 ~まだまだ序章~

初期研修医2年目には新型コロナウイルス感染症が収束しているだろうと思って入職したが、その考えは甘かった。これを書いている現在もコロナは猛威を振るっている。コロナ禍で自由に息抜きができないという、悶々とした中での研修とはなってしまったが、お互いを励まし合い、切磋琢磨し合った「戦友」と呼べる人生の宝物に出会えたことは間違いない。聖隷浜松病院での研修は辛すぎるあまり、幾度となく逃げ出したくもなったが、愚痴を言い合える仲間がいたからこそ、なんとかここまで続けてこられた。
 何もできなかった自分を最低限医療に貢献できる医師にしてくれたのは、紛れもなく聖隷浜松病院での研修であり感謝しかない。優秀な仲間に10年後会ったとき、恥ずかしくないように自分を磨いていけたらと思う。僕たちの医者人生はまだまだ序章である。
 この場をお借りして聖隷浜松病院の皆様に厚くお礼申し上げます。2年間本当にありがとうございました。

鈴木 杏菜 ~母病院愛~

見学生の時、血培採取に苦戦し、ERで輸液速度に頭を抱えながら奮闘する先輩方に憧れて、ここ、聖浜にやってきました。履歴書には「医師としての土台を築きたい」的なことを書いた気がします。未熟でもろくて諸刃の剣にすらなりきれない研修医に、こんなにも指導をして頂ける病院で2年間を過ごせたことを本当にありがたく感じています。時に力尽き果て、時にしぶとさと頑固さをみせつつ、涙も交えながら、この聖浜で先生方そしてスタッフの皆様に支えられました。余裕がないとき、精いっぱいの時、皆さんにはたくさん迷惑をかけました。ただ、その中でも2年間での1番の学びは日常診療の中で垣間見えた、医療者としての誠実さとはどういうことか、だと思っています。医師だけでなく各スタッフが患者さんにとっての最善を常に自分の頭で考える、そんな背中を沢山見せて頂きました。そして、一緒に初期研修を乗り越えてくれた同期、ビジネスパートナーといわれた時期もありましたが、一番に信頼し尊敬しあっていた18期をとても誇りに思います。皆様に恥じないよう、今後も精進していきます。いつかまた皆様に会える時まで。

豊田 健介 ~お世話になりました! そして、引き続きお世話になります!~

専門が決まる前の初期研修医の間に色々経験しようと思い、聖隷浜松病院の研修を選びました。ただ、実際に働き始めてからは想像の何倍も大変で、手技や救急対応、病棟管理も思っていたように上手くいかず、日々落胆、反省の連続でした。その中で幾つもチャンスを与えていただき、またバリバリと仕事をこなす優秀な同期の姿を追いかけて、多少はマシになった姿をお見せできるようになったと思います。どんな時でも熱心にご指導いただいた先生方やいつも刺激を与えてくれた同期、理想的な先輩像の17期の先生方、元気で色々デキる19期の先生方には感謝してもしきれません。また、研修をより充実してものにしてくださったコメディカルや人材育成センターの方々にも感謝申し上げます。
来年以降も消化器内科でお世話になります。2年で身につけたものを反復しながら、日々研鑽を積んで参ります。引き続きよろしくお願いいたします。

中野 謙 ~なりたかった自分となりたい自分~

「せいはま」に惹かれてここで働きたいと思った5年生の夏。救急外来は何も出来ない事実に打ちのめされて、ここで働き続けるのは難しいと思った救急外来3日目。そんな時、上級医に連れられて見に行ったヘリポートは澄み渡るような青空で、もう少しここで頑張ってみようと踏ん張ることができた。それから、しんどくて、不甲斐なくて、眠くて、泣いてしまった時もあったけれど、18期の同期が皆頑張っている姿をみていると、不思議と自分も頑張れた2年間だった。
20年後に僕たちそれぞれがどんな医師として生活しているかは分からないけれど、「今日ここで働いていた事があって今がある」そんな風に言える自分でありたいし、そうなれるようにこれからも歩き続けていこう。
 最後に先輩、後輩、病院スタッフの全ての皆さんに、こんな自分と一緒に働いてくれたことに感謝申し上げます。これからも、宜しくお願いします。

仲村 友博 ~楽しかった初期研修~

神奈川は相模原に生まれ育った。そして、ふと気づけば関東平野のど真ん中、東京慈恵会医科大学で一人の医師となった。
医師最初のステージとして聖隷浜松病院を選んだ。
「毎日が決闘だ」これは当時医師になったばかりの自分が呟いた言葉である。眠くてコンディショナーで顔を洗ったこともある。カルテを打ち過ぎて指にタコができたこともある。今後もずっと忘れまい。
あれから二年、自分は成長できただろうか。周りの優秀な同期達をみると、自身を持って大きくなれたとは言い難い。
しかし、この場にいることが出来たのは自分にとって何よりも幸せで貴重な時間であった。
高らかに叫ぼう、ありがとう。

中山 光 ~充実した2年間を終えて~

「医師としての土台を作る大切な初期研修の期間は自分を鍛えることのできる環境で過ごしたい。」そのような思いのもと、福岡から浜松の地に来ました。実際の臨床の現場は教科書通りにはいかない症例の連続で、自分が想像していたよりも精神的にも体力的にもずっと大変なものでした。しかし、その中でも患者さんや家族からありがとうと言ってもらえたり、元気な姿で退院される姿を見たりした時には大きな喜びを感じました。自分の実力不足に打ちのめされることも多かったですが、悩みながらも患者さんに真摯に向き合い努力を重ねる同期の姿を見て、自分ももっと頑張ろうと思えました。自分がこうして無事に臨床研修を終えることができたのは同期や先輩・後輩がいてくれたからです。熱心で温かく心から尊敬できる方々に囲まれた2年間は今後の医師人生にとってかけがけのない貴重な経験になったと思います。最後に、指導していただいた先生方、コメディカルの皆様、人材育成センターの皆様、研修医の皆、2年間本当にありがとうございました!

畑澤 健 ~謙虚に、ひたむきに~

忙しい病院らしいと聞きつつ、初期研修は基礎固め!と研修をスタートさせた。が、仕事と私生活の境目があいまいな日々が続き、これは続けられないと悟った。実臨床では正解がなく、EBMといいつつも実際には手探りの中自分でゴールを設定する必要があり、そのための労力のなんと多いこと。それでも多くの方々のサポートにより、今に至る。頼まれたルートを確保できたときに、ちょっと胸を張れたあの頃が懐かしい。
当院での一番の収穫はプロフェッショナリズムだと思う。やるっきゃない時にはやるっきゃないのだ。上級医の背中を見て少しずつ自覚してきた。専門医もうんざりするような症例に、対応できてこその専門医なのだろうと感じた。そんな自分を目指し、「謙虚に、ひたむきに」、高校時代の部活動のスローガンよろしく、今後も励んでいきたい。
最後に、どんな形であれ私の研修を支えてくださったすべての方へ、大変お世話になりました。私のした仕事が巡り巡って皆様への恩返しになればと願っています。

前田 彩華 ~感謝の気持ちをもって全力で頑張ります!~

縁もゆかりもない浜松で特別大きな災難に遭わずに研修生活を終えることができたのは、間違いなく周りの方のサポートのおかげです。同期、先生方、スタッフの皆様、先輩、後輩、患者さん、熊本の家族に心から感謝します。何より同期には本当に恵まれました。優しくて、向上心に溢れていて、いつも支えてもらってばかりでした。同期と過ごした2年間は私にとっては一生の宝物です。私自身に関しては、不器用で自信なさげで、いつも周りの方々を不安にさせていたかと思いますが、目の前の患者さんに対してできることを自分なりに必死に探し、全力疾走した2年間でした。辛いことも多々ありましたが、振り返った今、聖浜で研修できて本当によかったです。今後は小児科医として引き続きこちらで研修させていただきます。これまでの人生で周りから受けてきた恩恵を、少しでも子どもたちや自分の周りの人に還元していけるよう、微力ながら精一杯励んでいく所存です。これからもよろしくお願いします!

松田 香欧里 ~スタートライン~

見学で、はきはき働く先輩医師の姿に憧れを抱きここでの研修を希望しました。入職してからは、何も分からず、右往左往する日々でした。1年目の6月に担当患者さんが急変した時は、周りの人を呼ぶことしかできず、到着した先生方が迅速な指示出しをしている姿をみて、悔しくて涙した日もありました。「患者さんのことを一番知っている人になれ。」とその時の上の先生に言われ、その言葉を胸に2年間やってきました。時にはキャパオーバーで周りの人にご迷惑をかける時も多々あり、その度に沢山の人から多くのことを教えて頂き、励まして頂きました。ここで2年間働けたのは、時には厳しくまた優しく指導下さる上の先生方、そっと見守って下さるコメディカルや人育の方々、何より苦楽を共にした同期のおかげだと思います。
 これから夢だった産婦人科に進むことが不安ながらもとっても楽しみです。いつかまた一緒に働いた方々ともう一度働けることを夢見て、それまで精進してきます。本当に2年間ありがとうございました。

脇 政順 ~医者になった僕が考える医者の役割~

4月は総診に始まり夜間は呼び出され土日は拘束で休む暇もない、といった社会人の洗礼を浴びるスタートでした。「ここは僕の来るべき所ではなかった」と何度も思いました。辛くしんどいことが多かったですが大学でろくに勉強していなかった僕にとっては、医者の端くれになる大切な時間であったと振り返ります。根拠を持って診療にあたるといった当たり前のことを当たり前と教えてくれたこの研修は、医師としてのスタートラインに立つ僕にとって非常に有意義でした。
 この根拠こそが研究によって生まれるものであり、その研究を行うのが医師の役割の一つだと気づきました。まだまだ臨床を学ぶ道半ばではありますが、将来必ず研究をおこない医学に貢献したいと考えています。日々の診療を大切にし、凡事徹底を胸に臨床から研究へ羽ばたきたいと思います。2年間のご指導ありがとうございました。

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