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修了生の声 第16期生 (2021年3月修了)

井川 杏奈 ~出会い~

入職前は内科系志望か外科系志望かも決まっておらず、何がやりたいか全く見えない中で研修が始まりました。その後の2年間も悩みに悩み、いいなと思った科は両手に収まるか収まらないか・・・産婦人科を選ぶとは2年目の7月のローテーション時まで想像もしていなかったので、正直、自分でも驚いています。これまでの私は何事も「なんとなく」で感覚的にこなしてきた分、聖隷浜松病院での研修が始まってからは全ての行動に理屈をつけるのに苦労しました。ですが、手術は、手技は頭で考えるというより「術者はこうしたら見やすい」や「鉗子はこう動かしたらよい」など感覚的にできるスポーツの様だなと思いました。スポーツが好きな私が今後もやっていきたいと思えたものに出会うことができたのは聖隷浜松病院で研修したおかげだと思います。また、モチベーションの高い仲間に出会え、「今日何しに研修医室来たの?」「勉強しにきた」と自然に言い合える環境のおかげで勉強への態度や調べ方が身につき、医者としての基盤・財産になりました。

浮田 大貴 ~御世話になりました!これからもお願いします!~

臨床研修の2年間は、社会人・医師としての土台を形成するために重要な期間であると考えて、聖隷浜松病院へ入職しました。そして、上級医の先生・人材育成センターを始め多くの方のバックアップのもと、働かせていただきました。2年間を振り返ると、こんなにも多くの方と出会い、新しい考え方を学び、自分の考え方・習慣に影響を受けた期間は人生でも初めてでした。多くの方の考え方を学ぶほど生じる価値観の変化や自責の念などに精神的にもストレスもかかった2年間でした。そんな中で自分の悩みを聞いてくれる動機や気分転換につきあってくれた16期の同期や17期の後輩たち、各科で食事や運動に誘っていただいた先輩方にも支えられながら初期研修を終了することが出来ました。
今後自分は整形外科医として、また新たに1から研修をしていく生活が始まりますが、2年間の経験を糧に日々精進していきたいと思います。
2年間ありがとうございました。

大竹 健人 ~憧れを追う2年間~

実はずっと、「僕はここの研修医として似つかわしくない」と思っていました。周りを見渡すと、やる気に満ちて、コミュ力があって、面倒見がよくて、個性が強い同期や先輩たち。自分にはいろいろ足りていないのです。
それでもなんとか頑張ろうと思えたのは、見学でみた先輩の、優しくて主体的で優秀な姿への、強い憧れがあったからでした。あんな風になりたいと、ずっと思っていました。
それだけではありません。この病院でさらにいくつもの、尊敬できる姿、素晴らしい考え方、美しい技術に出会いました。この2年間はそんな憧れを見つけては、追いかける日々だったと思います。
僕は個性には乏しくて、確固たる強みのない研修医でした。でもだからこそ、ここで関わる人たちの良いところを、少なからず吸収させてもらうことができたとも思うのです。
僕は関わる人に恵まれた、本当に幸せな2年間を過ごしました。初期研修が、医師としての基礎を作る大事な2年間だとすれば、僕はここでの皆さんとの関わりの中で、医師としての基礎を得ました。そのことを、とても嬉しく思います。2年間ありがとうございました。

河西 怜 ~医師としてのスタートライン~

救急に強い病院で、Common diseaseが十分に経験できて、教えてもらえる環境があって、なおかつ研修医にやる気があるところは・・・生まれも育ちも浜松で、初期研修先まで浜松じゃなくても、と自分でも思いつつ、一番いい環境を選んでみると聖隷浜松病院でした。
4月から主治医になり、たいした知識もないまま患者さんの前に立つことが不安で、自分の考える治療は医学的にベストなのか、患者にとってベストなのか、医療の難しさにずっと悩まされてきました。そんなときに上級医や、コメディカルの方々そして同期の皆からのアドバイスでいろいろな視点から考える機会があったのは、本当に恵まれていたと感謝の気持ちでいっぱいです。
今後は外傷外科を目指すにあたり外科研修、さらには救急での経験も積んでいくため大変長い道のりになると思いますが、ここで学んだ総合診療の視点、プライマリケアの基礎を大切にしながら、初心を忘れず精進して参ります。

久保田 悠介 ~たくさんの人に支えてもらった2年間~ 

この2年間を振り返ると、初めての病院見学の時に全員が生き生きと働いているように見え、こんなところで働けたら楽しいだろう!と思ったことは間違っていなかったと感じています。
上級医の先生方は厳しくも温かく見守ってくださり、ただ教わるだけでなく、暗中模索となることも多いながらも自分で考え診療を行えた経験は、僕の中に責任を持って患者さんと関わることの意味を教えてくれました。そして常に僕たちを支えてくれた人材育成センターの方々、たくさんの刺激を与えてくれた同期、先輩方、後輩には感謝してもしきれません。
初期研修で味わったのは嬉しいことよりもつらさや歯がゆさ、どうしようもない感情ばかりでした。自分でもどう表出したらいいかわからなかったけれど、そんな感情を共有し、一緒に乗り越えてくれる同期と医師としてのスタートをきれて幸せだったと感じています。月並みな言葉ではありますが、2年間ありがとうございました。

嶋本 顕人 ~医療とは何のためにあるのか~

研修医が始まる前, この疑問に悶々としていた。そのときの暫定的な仮説は「医療とは人々を幸福にするためにある」という当然の帰結であったが、幸福とは何なのか、個人と全体での幸福の違いは何なのかと結論のでないものであった。
いざ研修医が始まると、目の前の患者さんのことで精一杯でその疑問は隠れた。
しかし改めて振り返えると、どんなに高齢社会でACPという言葉が流行ってきた時代においても、目の前の患者や家族の「病気からなおりたい」という言葉の切実さに気づかされる。「生きたい」という個人の生物としての最大の欲求に真っ正面で向き合い応えられた時の医療の尊さ、他方で応えられなかったときの無力をひしひしと感じた。
この2年間の研修は個人の生物学的幸福へと向き合った期間であり、その姿勢をたくさんの指導医や先輩方,同期,後輩から学ばせて頂いた.
3年目からは,リハビリテーション医学へと進む.リハビリテーション医学は個人の生物学的幸福へと当然向き合う領域であるが、同時に純粋な生物学的幸福を超えた幸福と真っ正面に向き合う領域であると信じている。3年目からはそれらを学びながら最終的には全体への幸福へと貢献していきたい。

杉山 由夏 ~患者さんと家族に希望を~

5歳の頃、1個上の幼馴染を脳腫瘍で亡くし、病院の寮で医療者に囲まれて、「なんでお医者さんなのに治せないの?」と葬式で言い放ったことを今でも鮮明に覚えています。患者さんは病気や怪我を治してほしくて病院へやってくる。そんな当たり前のことを、数多くの救われない命を前に忘れそうになることもありました。それでも、患者さんのためにやれることはないか、と日々がむしゃらでした。最高に不格好だったと思います。そんな中、スーパーローテートでたくさんの専門の先生方の今に妥協しない姿勢や医業を拝見し、医者としての自覚や自信はどんどんなくなるばかり。それでも、この聖隷浜松病院でリハビリテーション科医としてどんな患者でも支えたい、希望を与えられるような医師になりたいとビジョンを見つけられたことを、誇りに思っています。自分自身の専門性を高め、いつかお世話になったこの地に戻ってこれたら…!

武田 栞幸 ~Decision make~

「あなたたちの仕事はdecision make」1年4月に聞いたこの言葉にいつも、心の中で苦笑いです。思い返せば、はじめは輸液ひとつオーダーするのもどきどきで、想像していたような能動的な研修医とはかけ離れていました。「気づいていない」リスクに不安になって右往左往するのは日常茶飯事で、最後には「切迫するT」なんて言われるようになりました。2年をかけて、少し自分で決めて行動することに慣れてはきましたが、まだまだ遅い。甘い。decision makeできていないなと苦笑いの日々です。そんな私を笑い飛ばして見てくれる同期、甘やかすことなくアセスメントを待ってくださる上級医や先輩方、ジレンマを共有してくださるコメディカル、頼ってくれる後輩の存在に感謝です。医師人生のはじめの2年間を16期として聖浜で過ごせたことが、今後の私の財産になることは間違いありません。まだまだ、私の伸びしろはたくさん!と期待して、日々進化していきます。2年間、関わってくださった全ての方に感謝申し上げます。

武地 有希 ~医ヲ業トスル~

「良い医師」とはどんな存在か。
働き始めると“Saturation”が患者に通じないことも、オムツ排泄が恥ずかしいことも忘れがちだ。患者や家族の目線では治療内容よりも、説明は分かり易いか・診察は丁寧か・物腰柔らかく優しいか・訪室は頻回か、そういったところで「良い先生だった」かどうかを評価されることが多い。しかしコ・メディカルからは指示出しがわかりやすく且つ現場の働きに対して現実的で、話しかけやすい人物の方がよく、医師同士ではエビデンスのある知識が多いことを求められるのは当然だ。つまり「誰にとっても良い医師」というのは難しい。
 卑近な例で言えば採血困難症例に「頻回採血は本人も看護師さんも大変だし減らそう」は患者さんの疾患や病状によっては「正解」ではないかもしれない。せん妄だからと安易に薬を使うのは危険だが、拒否しすぎても病棟は大変だ。医師免許は万能な免許だが私自身は万能とはほど遠い。だからせめて全ての人に感謝することと自己研鑽を積み続けることだけは忘れない医師でありたい。

中村 円香 ~一生モノの出逢いに恵まれた聖浜研修~

自分が生まれたこの病院で、医者人生の第一歩を踏み出したいと思い聖隷浜松病院での初期研修を選びました。久しぶりの地元での生活、仕事もプライベートも充実!と思っていましたが、初めての持ち患に時間を問わず翻弄される日々、当直で夜通し働く現実に疲弊しきってしまい、色々なところで私の屍が目撃されていたようです。私から発信されている無意識のSOSをも見逃さずにさっと手をさしのべてくれた上級医、ともに頭を悩ませ、喜怒哀楽を共有し、幾度となく一緒に立ち向かってくれた同期、まだまだ半人前の私でも頼りにしてくれた後輩、見かけると「しっかり休めてますか?体調は大丈夫?」と声をかけてくれた人材育成センターのスタッフ、たくさんの方が近くにいてくれたおかげで、今、私はここにいます。この2年間で得た全てが私の人生を切り開くパワーの源です。かけがえのないこの日々を思い出し、これからも頑張っていきます!ありがとうございました!

中山 真魚 【初期研修修了~たまごからひよこに~】

今、研修を終えようとしていることに震えています。
見学の時に、生き生きと楽しそうに学び、時に頭を抱え、主治医としてリハビリを拒否する患者さんのところに足繁く通う先生を見て、「楽」「勤」「優」を感じ、憧れ感銘を受けたことを今でも忘れません。身を置けば近づけると思ってきましたが、やはり怠け者で弱い自分は捨てきれず、要所要所で顔を出してしまいました。ただ、ハードにもソフトにも恵まれたこの環境に身を置けたこと自体がかけがえのない経験達の礎になっていることは確信できます。自分の人生を省みると、いつも何かを始めると大体の落とし穴は全てはまり、自分で堀った落とし穴にもはまる人生でした。案の定、1年目では様々なことに翻弄されバタバタしており、我ながら学年1心配な人間であったと思います。しかし、同期、上の先生方、他職種の方々、患者さんの言葉、姿に助けられ、折れることなく気づけば、乗り越えることができました。落とし穴には全てはまるけれど、比較的図太く生きていけるのだという小さい自信にもなりました。
来年からは、東京進出し、循環器内科のひよこになります。戻ってきた際は、どんな形であれ、何か一つでも貢献できるように気を引き締め、また一から頑張ります。

野口 拓樹 ~新たな家族の一歩~

医師としても父としても0歳からスタートした初期研修生活。
家庭があっても他の同期に同じように研修を頑張りたいと体を壊しながらも足掻いた1年目。体調を崩さないように、家庭の時間も作れるようにオンオフを意識した2年目。振り返ると、仕事と家庭の両立について日々悩み、多くの人に助けてもらってばかりの研修生活であった。
でもこうして悩んだ日々は、これからの産婦人科医としての人生で決して無駄ではない。そう思える。
産婦人科は、新たな命の誕生の現場。その責任は重い。一つのミスで、その尊い命を含め家族の人生も大きく変えてしまう可能性がある。「出産はゴールではない。出産は新たな家族のスタート。」我が家の経験からそう感じた。初めての妊娠で健診を受診する夫婦は、ママ、パパとしては0歳。妊娠、出産、育児と初めてのことが休む間もなく連続し押し掛けてくる。もちろん多くの幸せもあるが想像より大変なことも多い。産婦人科医として関われる部分は限られるが、少なくとも安心して新たな家族の一歩を歩み出せるように全力でサポートしたい。自らの経験で多くの壁にぶつかってきたからこそ為し得るものがあると思う。
医師としても父としても2歳となった今、少しは成長できているだろうか。そんなこと今は分からないが、数十年後振り返った際に成長できていたと思えるように、日々悩みながら0歳の産婦人科医として新たな一歩を歩みたい。

山 明日美 ~原点~

多くの人が幸せになる手助けをしてみたい。という意志のもと、安直に医師になる決意をした日が懐かしい。浜松の地に来て2年間、多くの出会いと経験の中で、人の幸せについて改めて考えさせられた。
思い出深いエピソードを紹介する。
致死性不整脈で心肺停止となり心拍再開後にICU入院となった男性。数週間の入院で意識は完全に回復しペースメーカーを留置して無事自宅に退院した。これこそ、まさに救命である。私が主治医ではなかったが、非常に喜ばしい瞬間だった。患者本人だけでなく家族も幸せと感じただろう。一方で、毎晩、様々な主訴で救急外来に受診する独居の女性。毎回、主訴に準じた検査を行うが異常なく帰宅となった。この方の求めているものは果たして医療だろうか。
人によって幸せの感じ方は様々であるが、健康であり、衣食住を送れることは最低限の幸せではないか。世の中には病院に来ないが、声なき声をあげて困っている人は多く存在する。4月以降、産業医という名のもと、病院という枠の外に踏みだし、広い社会の中で声なき声に耳を傾け、誰かの幸せへの手助けをしたいと心から願う。一人一人の小さな幸せが幸せな社会への架け橋になることを信じて。
最後に、この場を借りて私の幸せを支えて下さった当院スタッフ全員に謝辞を申したい。

山口 真裕美 ~SpecialityとGenerality~

レジナビでふらっと立ち寄りビビッときて選んだ聖隷浜松病院での研修。2年間を終えようとしているところですが、ここを選んだことは間違いではなかったと思っています。はじめの2年間くらい自分を追い込んでもいいんじゃないかと思っていましたが、方々からは「いつも楽しそう」と表現されることも多く、(本当に疲れていることもあったけれども)忙しくてもアセスメントに悩んでも毎日充実して過ごせたなと感じています。それもこれもいい上司・いい同期・いい後輩たち、そして支えてくれるスタッフの皆さんに恵まされたからでしょう。あっちにもこっちにも感謝で頭が上がりません、皆さん本当にありがとうございました!
総合診療をやりたいと思って始まった初期研修ですが、いろんな路線変更が合わさって腎臓内科として今後の道を進んでいくことに決めました。進路決めたからってそれだけ診てればいいわけじゃないんだぞ、と某先生からいただいたお言葉と進路を決めたきっかけになる「genelalityの中にspecialityを持つ」という心を忘れず、2年間で培った経験を元に頑張っていきたいと思っています。来年からもよろしくお願いします!

山本 剛裕 ~答えなき世界に足を踏み入れて~

縁もゆかりもない浜松で、医師としての人生が始まった。初めてスクラブに白衣を纏った2年前、現在の自分を想像できていただろうか。この2年間、400字では書ききれない、様々な出来事を経験した。成長、挫折、誕生、死、出会い、別れ。学生時代に思い描いていた医療現場とはまるで異なり、医療とは?幸福とは?運命とは?そんな問いかけがひっきりなしに飛んできた。それを打ち返そうと必死に過ごした2年間だった。優しさだけでは救えない、そんな症例を何度も経験した。「思いつきで治療をするな」この言葉を思い出すたびに背筋が伸びる。聖隷浜松病院は、我々を信じて?常に診療の最前線に立たせてくれた。そうでなければ、このような問いかけと出会うこともなかった。今でも答えはさっぱり分からない。しかし、圧倒的な知識と技術の先にその答えがあると信じて、愚直に泥臭く歩み続けようと思う。2年間ありがとうございました。

山本 裕記 ~感謝~

出身大学の先輩が多く研修していたことを理由に見学に訪れ、直感で研修先として選んだ。実際働いてみると、とにかく「人」に恵まれた病院だと感じた。先導してくれる先輩・上級医、悩んでいるときに支えてくれる同期、違う視点で意見してくれるコメディカル、本質ついた質問してくる後輩、そして患者さん。そんな恵まれた環境で過ごした2年間で特に考えさせられたことは、物事に疑問を抱き考え続けるということだ。当たり前だと思っていたことでも、今一度考え直してみると新しいことに気がついたり、そうした考え続けること、言い換えれば考えることをやめない大切さを日々日々実感させられる研修であった。2年間で学んだ「考え続ける姿勢」は生涯にわたって大切にしていきたい。
最後になりましたが2年間関わってくださった全ての方に感謝申し上げます。大変お世話になりました。3年目以降も初心を忘れず、「周りを笑顔に」をモットーに頑張ります!

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