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聖隷三方原病院は、地域医療支援病院として、質の高い地域完結型医療を目指しています。
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「聖隷事業団と共に」 外来医事課 課長 小栗明美氏

「聖隷事業団と共に」  外来医事課 小栗明美

 聖隷事業団と共になんておこがましいのですが、私の人生は、ここに就職してから現在に至るまで共に過ごしてきたなと思いこの題にしました。80周年の歴史の重みを感じています。

 1974年に就職して35年以上過ぎました。当初は聖隷浜松病院に就職し10年半資材課を経験しました。薬品係として病棟在庫の補充や仕入れの補助を行い、薬品名が難しく夢の中で右往左往しながら覚えていったなと思い苦笑してしまいました。1984年に医事課に異動、外来担当を半年ほど経験して入院担当となりました。その後、医事課は入院、外来に別れたため、両方を交互に経験し、通算しますと18年ほどになります。私にとって当時の医事課は、残業あり、休日出勤ありの部署で、勤まるだろうか?と思いながらも1991年にオーダリングシステム導入に携わり、仕事が楽しい、家庭で嫌なことがあっても私の居場所がここにあると思っていました。事務職は男性優位の世界ではありますが、女性の能力を発揮できる場所でもあります。2002年5月に聖隷吉原病院(現:聖隷富士病院)医事課に職場長として単身異動、今の富士病院の医事の原点を作ったなと自負しています。2007年10月、聖隷三方原病院、外来医事課に異動、聖隷の原点となるこの地にいることは感慨深いものを感じます。まだまだ住人にはなりきれていませんが、自分を磨いていこうと思います。

この文章を書くにあたり自分の過去を振り返り、ここまで継続出来たのは何故なんだろうと考えました。その思いを巡らしていくと答えは人間関係にあると思いました。指導力があり、部下の志を見守ってくれ、私を信頼してくれた上司や仕事のノウハウだけでなく、仕事に向き合う姿勢など、人としての姿を教えてくれた先輩がいました。更に、競い合える同僚、頼りにしてくれる後輩がいたからこそ継続できたのだと確信しています。

 さて聖隷は、一人の結核患者を助けたことに始まり、多くの患者の生命の誕生から消滅までの人生に何らかの形で関わることを行ってきました。病院だけでなく、保育園、老人施設など、人が人に関わり、人の繋がりによって保持されていると言っていいと思います。より良い人間関係により帰属意識ができ定着に繋がり、経験が増えることで仕事の楽しさも見出せるのではないのかと思います。(私の経験上)。

聖隷の未来には、聖隷人を育て聖隷で働いていて楽しい、そして活き活きと働けるような人を作っていく必要があると思います。私は今後この聖隷の中で、人を大事にして得意とするところを認めて、仕事が楽しいと思えるような雰囲気を職場長として作っていきたいと思っています。


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